稽古
動かない・・・というか、動けない。

公演間近で、やらなくちゃいけないところがいっぱいあるのに・・。体が動いてくれない。
前日よりはマシになったものの、まだ体が半分鉛のように重たい。
これでは、気になっている細かい動きも練習できない。
「ああ・・・ダメだ・・」と、気弱になってしまう。
今まで積み上げてきたものが一気に潰されていく感じ。。。
泣きたくなる。

「いや・・違う。」

今までやってきたものなんて、忘れていいんだ。もう一度、まっさらな状態で踊れって言うことなんだ。
チマチマと足の曲げ方から首の角度から、キッチリやったところで何になるんだ。舞台はその一瞬一瞬に全身全霊を掛ければいいじゃないか・・・。

体がきっとそう言ってるんだ。
2008年 7月 5日 [土曜日]

ちゃぶ台・・・つれづれに。。
ちゃぶ台で踊り始めたのは、ある淡々とした動きを床ではなくて、ちゃぶ台の上でやったら面白いだろうな・・という稽古場での安易な思いつきだった。恥ずかしながら・・・。
で、やってみると案の定「何故ちゃぶ台なのか?ちゃぶ台はあなたにとって何なのか?」と質問され続け・・・。そのたびに思いつきで「うーん。ばあちゃんかな?じいちゃんかな?」とかテキトウに答えながら、何だろうと自問自答する日々。
幼いときの記憶や、食卓の風景とか色々試してみたものの何だか違う。当たり前だ。ちゃぶ台文化で育ったわけでもなく、幼い頃からダイニングテーブルで食事をしていたし、ちゃぶ台は夏休みにばあちゃんの家で宿題をする時にしか使わなかったし・・・。
大野一雄氏の「お膳は母だ」。という見方も産れてこない。
その間、ちゃぶ台だけは、ちゃぶ台として舞台に立っていて、踊りよりもちゃぶ台の役割?というか存在だけが幅を利かせ続ける。
それじゃあ、あんまりだ・・。

ちょっとづつ変化が見えてきたのは、ちゃぶ台に乗り始めて丁度3年たった去年の暮れ。前の年にはじいちゃんが亡くなって、そのすぐ後に大倉山でちゃぶ台を引きずっていた。あの時はどうだったかなんて、すぐには分からなかったけど、あの時に何か見つけたのだった。(今考えてみたら)そこから、色々また踊ったり自問自答しながら、「タタラ祭り」で岸に向かった。
そして今、私はちゃぶ台とは?という問いにこう答えたい。
「ちゃぶ台の上には無数の死が横たわっている。」
ちゃぶ台は家族との食事でもなく、懐かしいものでもなく、ひっくり返すものでもない。私が見ているのはその上に静かに存在している死者なのだ。今まで、断言するのは避けていたのだけど、今回、公演前にあえてこうして書いておこうと思う。
そこで踊るということを続けてみようと・・・・。
「もうちゃぶ台で踊るのは辞めたら?」というご意見も多いのだけど、ちゃぶ台サダコは執拗に踊り続ける。
(2008年 7月 1日 [火曜日])

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