月末はコレ!
風の行方 砂の囁き vol.13



2015年1月31日(土)  18:00 open 18:30 start

長沢哲 (drums) × 木村由 (dance) Duo

料金 2000円

於 ギャラリーサージ
千代田区岩本町2-7-13 渡辺ビル1F TEL 03-3861-2581
(JR神田駅、都営新宿線岩本町駅、営団日比谷線小伝馬町駅より徒歩約7分)

着実に回を重ねて参りました。月末はこの会!
カウントダウンはまだ早い?3月まで毎月続きます。

※終演後に軽飲食ご用意いたします。お時間のある方はどうぞご歓談お楽しみください。

(2015年 1月 30日 [金曜日])

木村由+蜂谷真紀+森重靖宗@キッド・アイラック・アート・ホール 3Fギャラリー
寒い夜にご来場ありがとうございました。

このギャラリーの空間の面白さの中で、お二人の音と蜂谷さんとのパフォーマンス。不思議な時空間を行き来してあっという間の2セットでした。

終わった頃には熱気ムンムンの会場。

また、このギャラリーで、(今度はピアノも入るそうです!)是非再会したいと思います。。

どんどん拡がっていきそうな予感・・


(写真撮影:早川誠司さん。キッドの早川さん、工藤さんには本当にお世話になりました。感謝です!)

(2015年 1月 29日 [木曜日])

さて!次は全く予想がつかない組み合わせ!
木村由+蜂谷真紀+森重靖宗

2015年1月28日(水) 19:30 open 20:00 start

木村由 / dance
蜂谷真紀 / voice, etc.
森重靖宗 / cello

料金 2000円

於 キッド・アイラック・アート・ホール 3Fギャラリー

〒156-0043 東京都世田谷区松原2-43-11
TEL. 03-3322-5564 / FAX. 03-3322-5676

3人のエネルギーがどうバランスすることでしょうか? 階段のあるキッドのギャラリーで。蜂谷真紀さんとは初の共演です。

(2015年 1月 19日 [月曜日])

サンデー アフタヌーン ギグ@BITCHES BREW
2015年1月18日(日) 15:00 start
本田ヨシ子 / voice×木村由 / dance

日曜日の昼下がり。
なんともいえない甘味でやわらかい刺激の時間帯。
OTEMOYANとはまた違う、ヨシ子さんとならではの出来事。
とても不思議な夢の時間。



「非常におもしろい。限りなく日常であるのに、非日常である。限りなく可視であるのに、不可視である。だんだん陽が落ち、露出計が、外の世界から室内の光を気にしはじめるとき、最高にときめく。」by杉田誠一氏(写真撮影)



2015年 1月 18日 [日曜日]

「GARIGARI船で旅をする vol.3 」ご来場ありがとうございました。
3回目、雨の中ご来場ありがとうございました。

今回は石田百合(performance) + カイドーユタカ(contrabass) の背高(!)コンビduo。石田さんの作ってきたギター人形(?!)と、カイドーさんのコントラバスの共演が、興味深かったです。オブジェと戯れている石田さんには色気を感じ、音と戯れている時は無邪気さを感じました。石田さんの音の感覚はとても良いなぁ。。始めはぎこちなかった二人+αの関係が、時間が進むにつれて、馴染んで来て、気がついたら、夢中になって遊んでいる。何だか、子供の頃の外遊びを思い出しました。きっと、時間が許せば、ずっと飽きずに遊んでいるんじゃないかしら?笑。「暗くなったら帰ってきなさい。」と言われてても、中々帰れない、帰りたくない・・そんな時間だったんじゃないかなぁ・・。

藤井マリ(ソロ)→木村由(dance) + 三ツ井嘉子(flute) duo
マリさんは窮地に立つと面白い。笑。。マリさん特有の不思議なウロウロ感というか、迷走ダンスは他には無い不思議な身体性の魅力を感じる。。。今回は無音(と、いってもここの空間は時計の音なんかが静かに動いている)の中でのパフォーマンス。直前に、マリさんから「最後のほうで、三ツ井さんのフルートとちょっと絡んで、次に続く感じにしよう・・」との事で、打ち合わせ通りに「ソロソロ様子を見ながら出ようかな?」と準備していたら、マリさん、勝手に引っ込んできちゃった・・苦笑。。「音が無いから、不安になっちゃって・・」との事。いやいや、見ている方は案外面白がって見ていたのに・・・汗。。毎度、マリさんの突飛な行動には慌てますって・・笑。いやいや、何事も即興ですねん。

で、急いで準備して位置に付く。三ツ井さんのフィールドレコーディングからスタート。私は、ちょっと慌てて出すぎた感じで、ちょっと集中力に欠けちゃったかな?苦笑。。何となく焦点がぼやけてしまったような感じがあったのだけど、三ツ井さんはGARIGARIの空間を楽しみながら演奏してました。終わってから、「寝ている時に見る夢みたい。」「もっともっと、茫漠としてていいと思う。」という話が出て、確かに。ココの空間をもっと楽しみながら「茫漠」と突き進む方法でいけたら良かったかもなぁ。。と、反省も残しつつ、相変わらず不思議ワールドを探検、体験。まだまだ未知な世界が広がってくるわけですね。私自身は色んな反省もありましたが、またコレも糧にして次に臨みたいと思います。

さて、次回のGARIGARI船は2月13日金曜日。藤井マリさんのソロ。バレンタインの前日と言うことで、なんと!先着?名様にチョコレートプレゼント!なんて事もあるみたいですよ♪

(2015年 1月 16日 [金曜日])

さて!今年の船旅は?!!

池ノ上 de 舞踏狂會
GARIGARI船で旅をする vol.3

2015年1月15日(木)  19:30 開場 20:00 開演

石田百合(performance) + カイドーユタカ(contrabass) duo
木村由(dance) + 三ツ井嘉子(flute) duo
藤井マリ(舞踏)

料金 2000円+ドリンクオーダー

於 池ノ上BarGARIGARI
http://www.cinemabokan.com/main_open.php?content=GariGari
京王井の頭線池の上駅よりすぐ
東京都世田谷区代沢2−45−9 飛田ビルB1F
tel. 03-3481-6997
fax. 03-5478-6889
(2015年 1月 15日 [木曜日])

アクシデント!?
写真は橋本孝之さんが撮影してくれました。

(2015年 1月 14日 [水曜日])

「真砂ノ触角 其ノ七」ご来場ありがとうございました!
良かった!と、言っちゃう!笑。。
新年早々、ハプニングな感じですが・・笑!
(見に来た人には分かる・・ぷっ!)

いやぁ。。続けてきたらこの企画ならではの空間性も見えてきたとところで・・・!

「えっ!マジかっ?!」

ってな!

アレは、もうライブでしかないんだなぁ・・・。

「今までの中で一番良かった」と、お互いに思える内容になりました。

と、すると、次のハードルが高くなる?!のですが、まだまだ行きますよ。笑。

新年早々、ハプニングも素敵な色づけになり、充実したライブ。


よしっ!今年も踊ります!よろしくお願い致します☆

(2015年 1月 13日 [火曜日])

年明けはここからスタート
吉本裕美子meets木村由 「真砂ノ触角 其ノ七」

2015年1月11日(日) 20:00 開演

料金 2000円 (1 drink 付)

吉本 裕美子 guitar
木村 由 dance

於 綜合藝術茶房 喫茶茶会記
http://gekkasha.modalbeats.com/?cid=42174
丸の内線「四谷三丁目」駅1番出口より徒歩5分
TEL 03-3351-7904 (営業時間のみ)

年明け最初はこのおふたり。茶会記の落ち着いた空間で、淡々とそして大胆に紡いでまいります。
最近、私の年明けスタートはこの企画になってます。
よろしくお願い致します!

(2015年 1月 5日 [月曜日])

北里義之氏ブログ「2015年の身体と即興、年頭雑感 」に寄せて・・思った事などなど・・。
ずっと「自分の踊り」を探ってるうちに、「いや、こうじゃないなぁ・・」「ここが足りないから駄目なのかも・・」「自分は踊りで何がしたいんだ?・・」「踊りの可能性って何だ?」(当時はモダンダンスしか知らなかったので・・ソレ)と試行錯誤しているうちに、ソレばかりでなく、必然的に色んな事を見聞きしたり、体験したり目の当たりにすることが必要になり・・etc

まぁ、そんなんだから今でも踊りの所在無く、自分勝手に色々とウロウロして居る有様なのだが・・(苦笑)

ココ数年になって音楽家の身体に対峙出来る身体性とは?と思うことがあり、偶然にもそういう機会に巡り合ったりして、演奏家其々の個性に触発されながら、自分自身、ハッとさせられることも多く、夢中になってしまい、今に行き着いているわけなのだけれも・・。
身体(踊り)ということから始まった事だったのだが・・。

最近では、音楽家の作り出す空間や、美術や映像が作り出す空間と踊りが作り出す空間というのが、時に呼応したり拮抗したり、触発されたりしながら生まれてくる(どれにも其々の身体から発生している)エネルギーとその空間が面白いような気がして堪らない。
単にイメージとしての混沌ではなく、実際にソコで産まれて来る事実。毎度毎回、生に叩き付けられる表現の現場が特にライブでは色濃く出る。そういうわけで私自身はインプロセッションに夢中なわけである。

狭い世界や自己観念だけではなく、様々な捉え方の中で、(書くということも含めて)試行錯誤しながらも発することが出来る方がいいなぁ・・と思う昨今。

まだまだ・・可能性がありそうで、やりがいが詰まっている。そういう「今」を自由に謳歌できる「時」というのは何モノにも代えがたい・・そんな事を思いながら・・

新年明けましたが今年、更に「その瞬間、この一瞬」に向けて引き締めて行こうと思いました。


■北里義之/news ombaroque

ここ数年にわたり、特に意図したわけでもなく、面白いこと、楽しいことに共振する身体の自然なふるまいのままに、専門領域の外にも踏み出していき、その結果、即興演奏を中心にした音楽から、ダンスを中心にした身体表現へと批評対象が移行していくという個人的な事件に巻きこまれている。ダンスを本格的に観はじめて日が浅いだけでなく、必要に迫られて読書傾向が変わったり、言葉や感覚のありようが組み変わったりしていることから、音楽やダンスの時評めいた作業はできなくなっている。対象の動きを追うためには、こちらの身体が固定していなくてはならない──そのような “批評的身体” が実際に存在するかどうかは、あらためて考えるべき問題だが──のだろう。しかし、現在では、すべてが定点をもたず、演者も観者も、おたがいに動きあうなかでポジションが決まるのが常態となっている。こうした批評基準を立てることの困難さにこそ、現代の病理があると指摘するむきさえある。ともあれ、私の場合に限定していうなら、こうした環境を前提にしたとき、ダンスの出来を毀誉褒貶することより、音楽とダンスの間という曖昧な領域における批評の可能性を問うことのほうが、焦眉のテーマとなっている。具体的にいえば──このような言い方でどこまで通じるかわからないが──音楽とダンスの双方を含むことができるような身体地図を(言葉で)描き出すことが、当面の目標となっている。

 ふたつの領域に接する境界線の存在、あるいははっきりと名づけられない中間領域の存在を意識するようになったのは、即興ダンスを知ったことによる。即興演奏家とのセッションを本格化させはじめた木村由が、ここ数年の間に、彼女独自の即興スタイルを完成させていく過程をつぶさに見ながら、すでに「即興ダンス」を標榜していた先行者たち──亞弥、Margatica、野村あゆみといったダンサーの活動を知り、さらに、コントラバスの池上秀夫が主催したダンサーとのセッション・シリーズ「おどるからだ かなでるからだ」(2012年11月〜2013年12月、喫茶茶会記)を通して、喜多尾浩代、菊地びよ、木野彩子、上村なおかなど、即興をひとつの方法として選択することもあるダンサーたちも視野に入ってきた。それぞれ「即興」が意味するところは千差万別と思われるが、管見に入ったかぎりの話としていえば、現在のところ、振付を拒絶し、即興のみを指向するダンサー、すなわち、即興という行為のなかで身体を見いだしていく「身体のインプロヴァイザー」と呼べるダンサーは、木村由しか見あたらない。大抵の場合、即興は技法であり、方法であり、コミュニケーション・ツールであって、身体が生まれてくる場所としては感じられていないように思われる。例えば、深谷正子も即興をするが、彼女の場合、「コレオグラファー/パフォーマー」と呼ぶのが適切と思われるのは、動きの構成において、コンセプトが重要な関わり方をしているからである(ちなみにこの呼び方は、「作曲」と「演奏」という制度に二分されることのない “全身的な” 表現者のあり方を、かつて高橋悠治が「コンポーザー/パフォーマー」と命名したことの転用である)。

 ダンスにおいて、またダンスの外においても、身体のありようを根底からとらえ返そうとするとき、半世紀にわたって探究を積み重ね、多様性を獲得するにいたった舞踏の伝統が、身体表現の宝庫であることは言うまでもないだろう。多様な身体によって縦横に横断されている現在の舞踏が、ある種の危機感をもって、みずからのアイデンティティを再構築する必要性を感じている(らしい)ことは、私のようなものにも感じ取れるが、ここに異端と正系の論争を持ちこんでも、あまり生産的な議論にはならないように思われる。結局のところ、ひとりの踊り手にできることなど、自分が掘りかけた穴を、生涯をかけて、誠実に、愚直に、徹底して掘りつくすことくらいしかないからである。身体が抱えている広大な領域は、そうした作業にこたえてくれる唯一の土地かもしれない。舞踏を、ジャンルや、流派や、世代や、人や、生活や、思想などに還元してしまうのではなく、ダンスする身体のいたるところに出現する可能性をもった舞踏ファクターとしてとらえかえし、身体地図に描きこんで詳細にしていくこと。それはおそらく平面的な図柄に垂直のエネルギーを負荷し、言葉に領略しがたいものをもたらし、ものに光や影を与え、身体地図を立体的なものに肉づけしていくことなのではないかと思う。そのようにして身体が前面化されるとき、「舞踏」という言葉は、使う/使わないに関係なく、不要なものとなっているに違いない。

 付言すれば、ここで批評の宛先にしようとしている身体地図は、一般的なダンス地図とは別のものとして構想されている。ダンサーにかぎらず、演奏家のようなパフォーマーも広く視野に入れながら、<私>と身体の関係を内在的に探究している個々の作業を、ひとつひとつ、一体一体、連結していくところに見えてくるのが身体地図だとしたら、身体と身体の外在的な関係をすくいあげていくのがダンス地図といえるだろうか。わかりやすくいえば、前者を目に見えない身体、後者を目に見える身体と言い換えてもいい。芸術の本質を、感覚できないものを感覚できるようにすることという言い方があるように、ダンスもまた、見えない身体を見えるようにする(感覚できるようにする)ことと定義することができる。ダンサーは、踊るたびごとに、動きのただなかで、見える身体と関係を結びながら、同時に、この見えない身体に触れることになる。見えない身体は、見えるようになれば消失してしまうようなものではなく、ダンサーが踊るたびごとに出現する亡霊的なものといえるだろう。大野一雄の代表作である『ラ・アルヘンチーナ頌』において、女装をした大野の身体が触れようとするアルヘンチーナの身体が、両者のこの関係をよくあらわしている。この関係は、すべての踊る身体に立ちあらわれているものなのである。


 2014年夏に開催された「ダンスがみたい!16 新人シリーズ受賞者の「現在地」」(7月〜8月、日暮里d-倉庫)や、<トヨタ コレオグラフィー アワード 2014>の最終審査(8月3日、世田谷パブリックシアター)に残った作品群からは、現在のダンス作品における振付の多様性を確認するとともに、そこで活躍しているダンサーが、どのようなことに関心をもって作品を制作しているかを総覧することができた。身体地図とダンス地図を重ねあわせ、現在私たちが立っている位置を測量していこうとするとき、こうしたスペクタクルや演劇にまたがるフィールドの存在を無視したり、言葉や演劇にはみ出していく身体を見失うことがないようにする必要がある。そのための包括的な受け皿として、おそらく「ポストドラマ演劇」の概念によって形作られている領域が有効だろう。というのも、そこでは感覚や感情などすぐれて身体的なものが、ドラマを構成する言葉に従属することなく、どこまでも抗争的な関係にあることが前提とされているからである。もちろん身体地図=ポストドラマ演劇ではない。身体が記号的なものとつねに肌を接していることを、忘れないようにしておく必要があるということである。これからしばらくの間、身体の具体性に迫りながら、同時に、身体と身体を連結していく批評作業をすることになると思う。■

http://news-ombaroque.blogspot.jp/2015/01/2015_2.html
2015年 1月 3日 [土曜日]

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